恵心尼の如是我聞

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□ 恵心への道~第三章 □

其の三

 そして次に首塚というか、秀次公の菩提寺を京都三条へ探しに行った。

 正月明けの晴れた日に三条河原を歩いて上は二条、下は四条まで1時間かけて捜したが見当たらなかった。

 諦めて帰ろうと思ったが、せっかく京都まで来たので、近くの神社に初詣でもして帰ろうと周りを見渡すと、神社らしき建物があり、あそこにしようと行ってみた。

 なんとその寺は何と捜し求めていた秀次公の祀られてある瑞泉寺であった。

 びっくりしたのと秀次公が導いて下さったのかと感動し、早速墓前で手を合わせてお参りさせてい頂き謝罪した。

 秀次公の周りをずらっと正室、側室の方々の墓が取り囲み殉死された武士の方々の墓もあり、どんなにか無念の思いでこの世を去られたかと思うと涙が出て仕方なかった。

 又、姫君、若君も容赦なく殺され秀次公の子孫の根を全て根絶やしにされた悔しさ悲しさは如何ばかりかと因縁の深さを思った。

 寺の住職の方に、今は少ししか持ち合わせがないがお経を上げて欲しいと持っていた些少のお金をお渡しすると、住職がその代りに豊臣秀次公一族と瑞泉寺という本を下さった。

 その中に、正室、側室の方々の辞世の句があった。

 12才から上は68才迄の方が打首となられたが、誰一人恨みの句はなく、秀次公のお側へ行けることを喜び、世の果かなさや、これも運命と受け止めて潔い句ばかりで戦国時代の武家の作法というか、道というか、今の世では考えられないことである。

 その方々が、私の夢枕に4人現れたのかと改めて、正室、側室の方々へのご供養もさせて頂き、子の方々も師を通じて、


   「貴方は今3人の子が居るなら子を道連れにしなくてはならなかった母の心がどんなかは分かるでしょう。それを分かって欲しい。


と言われた。

 まだ、幼くして父君の後を追い死なねばならなかった若君や姫君、それを目の前で殺されるのを見なければならなかった女性方の嘆き、悲しみ、苦しみ、戦国時代、武家に生れた者の運命とはいえ、何と悲惨な事であったのだろうか。

 そんな因縁に係わったのかと思うと罪の深さに震撼する。



其の三
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Date:2010/01/15
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