恵心尼の如是我聞

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マイトレーヤの伝言 3

2011/12/05 【マイトレーヤの伝言
 地球を囲む太陽系宇宙は、銀河系の中心にある太陽を中心として回転し、その一周する周期は約2万6千年かかりその軌道を黄道帯と言います。

 これを時計のように12に分割しそれを12宮と呼び、エイリス・トウラス・ジェミニ・カンサー・レオ・ヴイルゴ・リプラ・スコルピオ・サジタリアス・カプリコーン・アクアリウス・ピッセスと分けます。

 そして一つを通過する期間は約2,100年。運行は逆方向に進みます。

 さてここで私が言いたい事は、今から2万6千年前、アクアリウスの時代はジャワの遥かかなたにムーという大陸が存在し、その国の首都ヒラニクラの王宮には王のラ・ムーが12合星の結界を形どった王宮に住み、そこを中心とした12の回廊が伸び、国の東西南北に櫓が組まれ、東西の櫓には天の火、つまり雷から取った火が点じられ、南北の櫓には地の火、つまり火山から取った火が点じられ、王ラ・ムーは太陽の火として中心のヒラニクラにおいて民のための政治に専念していた。

 更に今の北アメリカ、南アメリカの中心の大西洋岸にアトランテスという科学力を中心とした一大帝国があり、ムー大陸ともども栄えたが、その後両大陸は神の意によって海底に姿を消した。

 そこから人類は様々な変遷が始まり、変遷を繰り返しながら元の出発点アクアリウスの時代に戻る時期が後7年に迫っている。

 そこでアクアリウスの時代とは何か。


 アクアリウスとは宝瓶宮(ほうへいぐう)とも、水がめ座とも呼ばれ、水即ち人間が魂の本質、霊の本質に還元することを意味する。

 もともと魂の本質、霊の本質をわきまえていた人類がやがて自ら知恵によって村を構成し町を構成し国を構成し、思いのままの人類社会を作り、ついには科学を発展させ巨大な物質文明を作り出したが、その巨大な物質文明を支え維持するためには複雑な知識を更なる知恵が必要とし、ために人間として最も大切な尊い心を見失い、その科学が自然を破壊し汚染し、自然と共なる人類の生存を自らして絶とうとしている。

 更には人間が作り出した思想や宗教や過去の恩讐やエゴの知恵に走って情や温かみを失った人間の心が回復不可能なまでに人間関係をついばみ、両面ともに亡びの世を迎え、好むと好まざるとにかかわらず、亡ぶかさもなくば物質文明から精神文明への転換を余儀無くされる時代がついに訪れた。




 胎児は宝瓶宮の中から生まれてくるのです。

 だからまだ生まれていない胎児はアクアリウスの水によって包まれている胎児の時代。

 そこからその原点まで、人間はそこまでよく考えなさい。




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マイトレーヤの伝言 2

2011/12/05 【マイトレーヤの伝言
 この世は全て相対に分けられ、生き物に雌雄があり、人間に男と女が存在します。

 その男女が結合すれば当然女は孕(はら)み、子を宿します。

 女はその子に血肉を分け与え胎児は成長し、肛門に継がる直腸にも等しい産道を数千グラムもの胎児が抜け出るには、産道を切り裂き、破壊し、死に等しい苦痛の中で母は生死をさ迷い必死で子供を送りだす時、母は神と同じ産みの苦しみをするのです。

 そして、神からきた純粋で無垢の魂に触れた時、母は感動し、その無垢の魂によって限りない優しさが引き出され、真実の愛に目覚め、純粋で無垢なるが故に全く無価値に等しい、目も見えず、物も認識出来ず、考える事すら出来ない、全く生かされなければ生きていけない魂に触れた時、この魂に母は愛する価値を認め、昼夜の別なく乳を与え、排泄物を取り、育てることに生命をかける。

 そして、やっと目が見えるようになると、母は優しく微笑みかけ、語りかけ、心を我が子に通わせようとする。

 すると、やがて子は母に心を向け、笑顔で喜びを表そうとする。

 しかして子の心は母によって次第に成長し心を外に向け、興味深げに周囲を見まわし、母はあやしながら我が子に食べることを教え、歩くことを教え、話すことを教え、無垢の魂を優しさと自己犠牲という最も尊い愛で育み育てていくのです。

 このようにして逞しさを増し大きく育った子は、やがて一人の人間として思い考え行動するようになる。

 その頃から生の初めを知らない人間は、自分一人で育ちここまで来たと錯覚し、親から離れていこうとし、親も又、出産の時のあの神から来た純粋で無垢なる魂の故に最も無力で生かそうとする母の愛なくば、絶対に生きていけない魂に触れることによって限りない優しさと自己犠牲の純愛を引き出された時の感動を忘れ、自己の所有物と錯覚した時から親子の間に無理解と矛盾が生じ、摩擦が生じてくるのです。

 しかし又、その親と子が、子の結婚と受胎と出産によって子は我が子によって母の愛を憶え、親は孫によって再び祖母の愛に目覚めるのです。

 このように生をもって肉を分かち、愛に目覚め、愛を深める。

 これは、生がなく、又肉分かつことのない霊の世界、魂の世界では果たすことが出来ないために、神は肉持つこの世を作り出されたのです。


 更に言います。


 アブラハムやモーゼ、又もっと昔、森の木陰で木の枝を両手でつかみ、大地に立ちはだかり、下半身を血まみれにして神から来た魂を世に出すべく神と共なる生みの苦しみを味わい、不安と恐怖にさいなまれ、肉を切り裂く激痛の中で生死をさ迷いもだえる女に男は立合い、又血の臭いをかぎつけてやってくる獣から妻子を必死で守る男の姿がそこにありました。

 そして、男も女と共に神から来た純粋で無垢なるが故に最も弱く生かされる生命に感動し、その無垢の魂によって限りない優しさを引き出され自己犠牲の母性愛に等しい父性愛に目覚めるばかりか、自らが為した性の本質、これを知り、その結果を妻が一身に背負って苦しみ、もだえる妻を愛おしいと涙するでしょう。

 しかし、世が進むにつれ、何時のことか何時からか、男が出産に立ち合うことをせず、子育ては妻に任せきった頃から、自らの出生の秘密の知らない男は、愛の名をかりて女を抱き、性を刺激と快楽のために使い女をその道具と考えるようになってから、か弱き女は強き男の隷属物と化し、世は男によって作られ、男によって乱れ、その男たちによって作られた社会は、表は権力と財力、知力と圧力が支配し、闇なる部分は威嚇と暴力が支配し、大きくは国と国とが軍事力という威嚇と権勢、戦争という暴力によって雌雄を決しようとする非合法的な力社会や力世界を男自身が作り出していったのです。

 しかして、このような力が支配する社会や世界では、力のバランスが崩れる時、必ず混乱が起き、その混乱期にはめったやったらで終始のつかぬ闇がこの世を覆い闘争と破壊と暴力がはびこりこの世が滅びるのです。

 その混乱期が今なのです。

 だから今にしてこの事実に目覚めなければこの世は必ず滅びるのです。

 今この世を見る時、性の倒錯と乱交は人の心を狂わせ、合法なものには興味を抱かず非合法なものに共鳴し、何が善で何が悪であるかすら定かでなく、世に出た無垢の魂はこれを見た時、傷付くのです。


 よく聞きなさい。

 我が言魂に心を向けなさい。


 神から来た貴方々の魂は純粋で無垢なるが故に闇なるものに触れる時、必ず傷付く。

 そして、貴方々も傷ついでいるのです。

 そしてその傷に気付かずに生きているにすぎないのです。

 そして、一度受けた傷は神が作り給うた自然や純粋で無垢なものによって一時的に神や神の子に近き心に触れた時にしか癒されることがないのです。

 例えば不用意に殺人事件の現場を見ればその心は深く傷付き、最近アメリカで幼児誘拐が激増し、その幼児は大人達の異常な性の対象として売り買いされ、性的虐待を受ければその傷は癒されることはなく、その幼児が成長し、それが男性の場合は女性に対するレイプを繰り返し、例えば捕まえられて刑務所に入れられても出れば再びレイプを繰り返してその傷が癒されることはないでしょう。

 このように神から来た純粋で無垢だった貴方々の魂がこの世の矛盾と不条理と闇と悪を味わう時、その魂は弱きが故に深く傷付いて、傷付くが故に心に歪みが起こり、それが個々の習性となりクセとなり業となって我が身に付いてしまうのです。

 そしてそれをイエスは「弱さを身に負う者よ」と言われたのです。

 従ってこうした事実を深く考えるならば、今の世が神から来た純粋で無垢の魂を如何に傷つけ、魂を破壊し、悪と闇に魂を売り渡さねば生きていけぬか分かる筈です。

 それではこの問題を打開し社会や人を破壊から救うすべはあるのか。

 
 あります。


 世の男達が進んで妻の出産に立ち合い、妻の肉体から出る純粋で無垢なるが故に最も弱く、生かされて初めて生きられる生命に感動し、その生命によって限りない優しさが引き出され、母性愛に等しい自己犠牲の父性愛に目覚め、性の何たるかを正しく認識し、妻の出産に立ち合い育児に参加することによって生命の尊さ、愛の素晴らしさに目覚め、男女力を合わせ、世の真実の立て直しをすることによって、人も世も救われていくのです。

 例えば巷に反乱する性の享楽だけを大きくかかげた性的雑誌やビデオの代わりにその結果から生じる出産の壮絶で神秘なものに触れさせ、世の多くの子供達にそれを見せることによって性の真実を知らせ、生命の重さと尊さを教え、神と共なる親の愛が自分達をこの世にこのように生み出し、生かし自分達をこの世にこのように生み出し、生かし自分達を育てて下さったのかを教えることが大切です。

 この世でやすらぎを憶えるのが自然だとしたら、優しさを憶えるのは親子の関係しかありません。

 全て人の世の優しさは親子の関係に端を発し、そこから二つの魂が精神的に完全に結合し、一つになる愛の奥義を地で知るためには血肉を子に分け与える親子の間を見るしかないのです。

 男と女が結合し、そこから分裂し世に出る子、それは神の偉大なる愛によって結合と分裂を限りなく繰り返す宇宙の真理そのままを親子の間で繰り返すなら、その心は神と共なる絶対愛であり、その女に対して男はその生涯の伴侶であり、よき女の協力者であらねばならないのです。



 自然を見なさい。

 自然界の生きとし生けるものの雄と雌は、雄と雌が共に生きることが生活の基本ではなく、子を生み守り育てて種の保存と繁栄のための営みを繰り返しながら、そうした過程の中で宇宙大自然の心である愛を育み、優しさを憶え、親から子へ、親から子へと優しさと愛を継承し、世の全ての生き物は愛と優しさなく生きることはできないのです。



 更に言います。

 全知全能の神にあれば、オスを創らずメスばかりを創ってそれに子を生ませ、種の保存をさせることは可能なのです。

 しかし、出産という生命がけのメスを外敵から守り子育てに専念するメスを守り、メスを精神的に支え、生活を支える良き伴侶、良き協力者としてオスを創られ、オスに異性に対する性的愛を憶えさせ性的快楽を与えてメスと結合させ、良き伴侶、良き協力者として愛の巣を守ることを命ぜられたのです。

 このように真実を知るならば、男の仕事は自己の欲望や野望のためにするのではなく、生まれ出た子のため、家族や家庭の愛ある平和とその環境を継持するためにすることを忘れないでほしいと言われました。

 何事も原点が分かれば皆分かるのです。

 人間にとって最も大事なことは自らの生の原点を知ることによって全てが分かるのです。

 何故この世に性教育があって、何故生命の教育がないのですか。

 人間誰しも生命の道を踏むことによって人間には人間らしい心がよみがえるのです。

 人の世に親が存在する限り、人は殺し合ってはいけないのです。





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マイトレーヤの伝言 1

2011/12/05 【マイトレーヤの伝言
 私・マイトレーヤは愛を持って貴方々にこの言葉を与えます。

 私は今から2,600年程前、インドの地で貴方々が釈尊と尊ばれ、お釈迦様とあがめられるゴーダマ・シッタルーダの若き頃、人間ゴーダマ様にお会いしました。

 彼は「空しい」と呟き、バラモンの若き僧の群に身を投じ修行に励まれていました。

 私は彼の心に触れた時、この世は全て空しいと呟く彼は既に一つの悟りを得ておられ、悟られているが故に出家し、6年バラモン宗の修行においても何も悟り得るものがなかったのです。

 バラモン宗の若き修行僧達はこの世で悟りを得ようとし、ゴーダマ様は既にこの世は全て空しいと悟られていた。

 私はそうした彼をお慕いし、尼となって彼の教えに触れていきました。

 私が尼となってこの道を選んだのも同様にこの世の空しさを知っていたから彼の心と心通うものが多くあり、彼と共に学び、共に悟りたいと願ったからです。

 人間は心一つに目を向けることが出来なくて、目先のことに振り廻されて時間や生活や社会の神なき人間の作ったシステムの歯車にスポイルされ、骨抜きにされて疲れ果て生命をすり減らして、ただ死んでいく。

 ただそれだけが人生であり、このように空しく生きることが人間としてふさわしい生き方なのでしょうか。

 私が天上界からこの世界の実相を見ました時、哀れという外ならないのです。

 だから人々がこの世は全て空しい、だからこそこの現実世界を捨てて心の世界に悟りを求めて入り、これこそが世の求道者の入る門であり、これ以外に入る門はないのです。

 ではどうすれば悟れるのでしょうか…。

 貴方々に私はお尋ねします。

 
       「貴方々は自身の生の瞬間を知っていますか。
                   死の瞬間を知っていますか。」


 貴方々はこの世に生まれてきたその瞬間、死んでいく自身の実相をも知らないのです。

 貴方々は今にして目覚めなければならないのです。



 青白い顔をして苦悩するイエス・キリスト。
 この世は全て空しいと苦悩するゴーダマ。


 共に孤独と苦悩を深い深い内面性に共通する所があり、彼らは何のために苦悩し自己を極限にまで追いつめ、追い求めてきた悟りとは何であったのか。

 又、貧しい大工の子として生まれ、純粋で聡明な魂のキリストが世俗の中で出生の不明から不義の子としての烙印。
 故に傷つき苦悩し不明の若い時代の放浪や修行、ひたむきな祈りの中からやがて人間として他者から指さされ、権力者の迫害の中で罪人として十字架にかけられ殺されなければならない自らの運命を知りながら、人々を導き救おうとしたイエスの心とは如何なるものであったでしょうか。

 又、奴隷の子でありながら王宮で育てられたモーゼが長じて自分の出生の秘密を知り、母や同朋が奴隷として悲惨な生活を強いられている現状を見て、自身と世にどれ程の驚きと不明を感じたでしょうか。 
 そして奴隷制度に対する反発と同朋である奴隷の救済活動から国を追放され何十日もの間、炎暑の水なき砂漠を生死の限界までさ迷い続け砂漠の一部族の娘に救われ、一界の人間として平和で穏やかな生活に入りながら、また再び、神の声によって自らの母や同朋、ユダヤの民を奴隷の生活から救い出し、その果てに荒野で愚かなる民を率いての放浪の末、カナンの地を前にし使命を果たし終えたモーゼの苦悩というものは如何なるものであったでしょうか。


 それらを考えると、人間釈迦のこの世は全て空しいという苦悩と悟りも、不義の子として苦しみ十字架上で死ななければならなかった若き人間イエスの苦悩も、奴隷の子として苦しんだ若きモーゼの苦悩も、彼らは皆この地上の人間の歪みや矛盾や不条理に、


― お釈迦様の時のカースト制度、あれは神が作られましたか。人が作りましたか。
  イエスの頃の不義密通というマグゼマの制度、神が作られましたか。人が作りましたか。
  モーゼの時の奴隷制度。神が作られましたか。人が作りましたか。―


自ら激しく傷つき、深く苦悩し、自らの苦悩と孤独の中でこうしたことをごまかさず直視し、自らの痛みと苦しみを通し本当の真実なるものを追求し、求道の極限において神と継がり、メシヤとしての使命に目覚め、同じく人間社会の矛盾と不条理に傷付き苦しんでいる善良なる弱き人、罪なき弱き人々を救い導こうとされたのです。

 しかして、末法の世において女性である私が法を説き導かねばならないのか。又、イエスも釈迦もモーゼも説かれなかった法を説くのか。

 それは私の話を聞かれればよく分かる筈です。

 同時に、この私の説く法を実施することによって世が終りを回避し、この世に愛の花が咲き、永遠の平和が約束されるのです。












はじめに

2011/12/05 【マイトレーヤの伝言
 ここに書くのは、平成5年6月22日に瀬川先生が天上界よりコンタクトして『マイトレーヤからの伝言』を聞いて下さったものである。

 先生は世の終わりにマイトレーヤが現れて世を救う真理を説き人類を導くとあり、マイトレーヤはイエスも釈迦もモーゼも説かなかった真理を説くということに興味を持たれ、何故イエスや釈迦やモーゼが説きつくしたであろう真理である筈なのにそれ以外に説かれなかった如何なる真理が存在するのだろうか。

 又、マイトレーヤは何故女性であらねばならないのかと興味深々として待っておられた。

 そして先生は霊としてのマイトレーヤに会いその真理を聞かれた。

 その真理がこれである。

瀬川先生から人類への発信

2010/06/18 【緊急提言!
 今から10数年前に、当時14才の女の子が天から預かって来た詩を師の元に持参した。

それが、次の詩である。



  時が経ち、地が崩れ落ちる時、
 竹の中から光が出るだろう
 竹に沈み、鏡をさがせ
 鈴を鳴らし、竹を光らせよ
 水の鏡を持つ御子が
 結びの紐を解くだろう




 このように、終末の予言とも言える詩が、天より師の元へ届けられた。

 詩の意味は、

 「地が崩れ落ちる」とは、「天変地異が起こる時」。

 「竹」とは「岳」。

 山の上で禅定し、自らの心を水面がピタッと止まったように鏡の如く制止させ、神仏と対話する。

 その鏡に映し出されるこれからの人類が歩まねばならない未来を予測して、終末を回避する心の在り方を説き、人類を救いなさいとの伝言である。



 それに対して師は次のように言われた。

 現在の人々は、自分と自分の家族さえ良ければ良いという考え方の人がほとんどだが、それでは世は破滅の方向へ向かってしまう。

 考えてみれば、自分の妻も子供たちの結婚相手も他人である。

 血の繋がりはない。

 この様に他人と出会って結婚して優性遺伝をしてくのだ。

 純血種だけでは進化はしないし、滅びゆく運命を持っている。

 故に、他人は誰にとってもなくてはならない存在であることに気付くべきである。

 ならば、肉親以外の多くの人々の恩恵に感謝し、他の人々の幸せを願い、他を排斥しようとするエゴを捨て、人は互いに愛しあい、助け合い、励まし合い、祈り合って生きるべきである。

 他人の存在あってこその自分の幸せがあると気付くべきである。

 他人や他国の人々と関らない人生などないということである。

 宇宙から見れば国境などないし、皆、神の子として平等である。

 国境を作り、人と人、国と国の線引きをするのは人間がしたことであり、神がされたことではない。

 人の愚かな知恵が、自分さえ、自分の家族さえ良ければという思いが、人類を亡びの道に向かわせていると気付かなければならない。

 他人の幸せを祈ってこそ平和があり、人は他人と混ざって優性遺伝をして限りなく進化していくものである。

 他人なく人間の存在(自己の存在)はないことに気付いて、共存共栄して生きることこそ結びの紐を解く唯一の方法である。


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